滅却心頭火自涼

この言葉は恵林寺の快川和尚が織田軍に攻められて、炎上する山門楼上で言ったとされるものです。
その昔、何事も我慢が出来なかった私に父がよく言った言葉でもあります。
さらに父の説教は続きます。
「成せばなる、成さねばならぬ何事も、成さぬは人の成さぬなりけり!」もよく聞かされました。

 

しかし最近、「滅却心頭火自涼」には前があることを知りました。
「安禅不必須山水」(安禅必ずしも山水をもちいず)
さらにこの言葉には原典がありました。
中国の詩人杜筍鶴の「夏日、悟空上人の院に題す」です。
要約するとこんな感じです。

夏の暑い盛りに悟空上人という人がきちんとした姿で座禅をしています。
しかも炎熱を遮る木など一本もない炎天下で。
この方を見ていると座禅をするのに静かな山中や水辺を求める必要はなさそうです。
上人のように心頭を滅却し寒熱を超越された方は暑さに心を煩わされることもなく、炎熱もまた楽しいといった様子です。

 

なんだか少し安心しました。
火が涼しいなんてありえないですよね。
火は熱いに決まっています。
「暑い」が「熱い」に変わると恐ろしいことになりますね。

禅語としての解釈はみなさんにお任せします。