以前、NHKの教育番組で100分de名著「般若心経」全4回を観ました。
「空」や「無」の解説の回よりも、最後の回の「見えない力」の回に興味を持ちました。
般若心経には最後の方にサンスクリット語の音そのままの部分があり、
その部分こそ核心だと言うのです。
しかし、そこには意味は無いと言うのです。
そこには音があるだけです。
唱えることに意味がある・・・呪文です。
人は外界からの色々な刺激に触れていることで無心になれない。
意味のない音を唱えることが無心に通じる。
居合を抜くことも同じ心の状態に置いているとも言えます。
真剣を抜いている時は何も考えません。
いや、何も考えられない。
無心に抜くだけ。
稽古が終わるとスッキリします。
これは身体的なスッキリ感だと思ってましたが、それだけではなかったんですね。
精神的にも癒されていたのかもしれません。