坐禅を始めてはや一年が経ちました。
坐禅を始めたキッカケは「居合は動禅だ」という言葉が本当かどうかを確かめたかったからです。
坐禅の会ではよくこんなことを言われます。
「自分」を捨てなさい
「自分」なんてものは無い
矛盾した二つの言葉に戸惑いながら座り続けています。
最近、この「自分」がいかに稽古の邪魔をしているかを感じます。
速く振ってやろう
綺麗に斬ってやろう
カッコよく決めたい
実は刀の働きを邪魔しているのは他ならぬそんな「自分」です。刀は自身の働きを邪魔されたくありませんから「自分」に反逆します。
使いにくい刀だ
使いにくい刀なんてありません。
「自分」が使いにくくしているだけです。
一度「自分」を捨ててみては?
あっ!やっぱり居合は動禅でした。