一点梅花の蕊(しべ)

先日坐禅の会でこんな話を聞きました。

 

「坐禅修行も10年を超えた頃、1月の寒い夜に風に吹かれながら坐っていた。
ふとかすかに梅の香りを感じた。まだ梅には早いと思いながらも、確かに梅の香りである。
そのかすかな梅の香りに浸りながら坐禅をしていた。明くる朝、境内の掃除をしていてハッとした。
道場の山門のそばに梅が一輪花開いていた。昨晩香ったのはこの花だと思った。
坐禅していたところからは何十メートルも離れている。そんな距離で一輪の梅の花の香りがするであろうか。
無理だと言われるかもしれないが、私は確かにそうだと思った。
一輪の梅の花の香りが道場一杯に、いやこの広い天地一杯に香っていることに感動したのである。」

 

坐禅をしていると五感が異様に研ぎ澄まされたような感覚に襲われる時があります。
これもそう言った現象の一つなのかも知れません。

 

真剣で稽古している時も同じ感覚になります。
音、匂い、空気の動きなどがよりダイレクトに感覚に響いてきます。

 

また面白いのは稽古している時に感じた身体の違和感は必ず数日後に明らかな体調不良として現れます。身体の内側からの訴えなのでしょうか。

 

しかし悩み事などを抱えて集中できないでいると「梅の香」も「体調不良の前兆」も感じとることは出来ません。


「忙しい」の「忙」という漢字は「心」を「亡う」ことだと聞いたことがあります。

「忙しいですか?」が挨拶になっていることに異常さを感じない世の中ですが、たまには静かに心で自身の身体の声を聞いてあげることも必要なのかも知れません。