政治の世界では「公認」を求める人たちが「希望」を求めて右往左往して世の中を騒がせているようです。本当にその「公認」に効力があるのでしょうか?
ある稽古場所である会の演武会ポスターが貼ってありました。
下にわざわざ「○○法人 日本○○協会 文部科学省公認」と書いてあります。演武を権威付けしたいのでしょうか?
演武の良し悪しには何の保証にもならないはずなんですが、権力にオーソライズされると安心するのでしょうか?
それとも見る側の勘違いを誘っているのでしょうか?
しかし、この「公認」は受けたその瞬間からその「権力」の拘束が始まります。まさに「踏み絵」を踏まされます。
全日本剣道連盟居合道部八段位の審査で古流実技を撤廃することか検討されているようです。
それがイヤならその団体からは「公認」は得られず、団体を去らなければなりません。
柔術が柔道に、剣術が剣道に「公認」された時にも古流は相当「排除」されました。
そんな「公認」にさっさと背を向けて孤独な道を歩むのも良いのではないでしょうか。
静稽会はどこの「公認」も受けていません。
「しがらみ」のない団体です。