変わらないために変わる

最近、「オルタードカーボン」なる海外の近未来小説を読みました。

元々、海外の小説は外国人の名前が覚えられない、情景描写が直接的で長くて面白くないと言った理由であまり読みません。
これは翻訳の問題もあると思うのですが・・・なら原書で読めばいいじゃあないか!ということになるのですが、原書で読めるほどの英語力も根気も無いわけです・・・

 

さて話は戻ります。

近未来では科学技術により心身が分離可能となり、心はデータとして保存可能。富めるものは肉体の取り換えも可能で自身のクローンも複数保存出来る世界です。その結果、肉体的な死と精神の死は完全に区別されます。
死は必ずしも万人に訪れるものではなくなった結果、富む者はますます富み、様々な格差が明確に分かれ、かつ固定化した世界になっています。

 

永遠の命は人間に何をもたらすのか?
では有限である命は?

 

「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」
「葉隠」にはそうあります。
永遠の命の世界ではこの武士道はどうなってしまうのでしょうか?

 

これはあくまでも小説の世界です。
まだ現実世界では死だけは万人に平等にやって来ます。
ただ医学の進歩により死までの時間が長くなった結果、老いと共存する時間も長くなります。

 

「オルタードカーボン」の世界のように身体を取り替えることが出来ない現実世界では剣は老いとどう向き合えば良いのでしょうか?

身体は変化しているのに求める剣はそのままで良いのでしょうか?

 

心技体と言いますが、向き合うのは敵だけではなく自身の心や老化した身体に向き合った技が必要なのかもしれません。


変わらないものを求めるには変わらなければならない。

まさに禅問答です(^_^;)