先日、坐禅の会の帰り道である方がこんなことをおっしゃいました。
「今日の坐禅は凄く集中出来た」
すると別の方から
「いや、私もそうなんですよ!」
さらに別の方からも
「実は私もです」
実は何を隠そうこの私もその日は集中を実感しました。
何故か?
そのままみんなで喫茶店へ。
様々な意見が出ました。
「場に気が満ちていた」
「場の空気が違った」
「場と一つになった気がした」
私は「外に雨が降っていたからでしょうか」(^_^;)
これは偶然なのでしょうか?
同じ「方向」に向かおうとしている人たちの「エネルギー」が場の空気を変えたのかも知れません。
そもそもただ坐るだけなら一人でも良いはずです。それを同じ時間に同じ空間で坐ることの意味はあるのではないか、そう考えます。
場を支配する空気というものを明確に感じる場面があります。サッカーなどでホームとアウェイなどで感じる場の空気です。
同じ「方向」に向かおうとする人の力は場の空気を変え、そこにいる人に大きく影響を与えます。
昔、会のHさんと二人で稽古した時にHさんは「今日はお互いの気が感じられた。素晴らしい稽古だった」と言ってくれたのを覚えています。
稽古場の空気もそこにいる人の思いの強さで変わるのだと思います。そしてそこから何かを感じて感応するのでしょう。
合宿はそうした場であると思っています。その合宿は11月に実施します。
良い稽古になるよう場の力を感じたいと思います。