今日は普段の稽古に加えて、関口流の形の一部を取り出して稽古しました。
静稽会では「形」と表記しますが、会によっては「型」と表記します。
形は身体の動きに制限を加えることで、古人が想定した方向にしか身体が動かないようにするシステムだとも言えます。(確かにそういう意味では「型」の表記の方がわかりやすいかもしれません)
そのシステムの中にこそ古人の意図があって、そのシステムこそ古人の動きを現代に再現する効率的な方法なんだと思います。
今日稽古した関口流の形の一部の稽古は形の意味を身体で知るには非常に良い稽古でした。しかし本来はどんな形にも古人の意図があるはずです。でもなかなか見えにくい。まあそれを見えるようにするのが稽古だとも言えます。
動きの中に古人の意図を見出して、それが再現できた時の身体の喜びこそ稽古の楽しさなのかも知れません。
ただ形はそれだけではないはずです。
形を通じてその彼方にある世界を知ることが形の本来の意味であり、「更参三十年」なのではと最近では思っています。