過日、大学時代の恩師とお会いする機会があり、先生の著書をいただきました。
一万円札福沢諭吉のイメージが変わります。
北岡伸一著
「独立自尊」福沢諭吉と明治維新
その本の中に福沢諭吉と居合の話が出てきます。福沢諭吉は米つきと居合が得意だったと言うのです。居合は子供の頃に習ったもので、立身新流の中村庄兵衛先生に学んだとあります。
ではどれくらい居合をやったのか?
福沢諭吉は刀の柄に箸をたて、箸が落ちないうちに鞘を払ってこれを二つに切ることが出来たとあり、狭く窮屈なところで刀を抜くのを得意としたといいます。
そんな福沢諭吉の居合稽古は手記によると
明治二十六年十一月十七日
居合数抜 千本
午前九時十五分より十二時まで、六百四十本
午後二時から三時半まで、三百六十本
刀、鍔元より長さ二尺四寸九分、目方、三百十匁
明治二十七年十月二十五日
居合数抜、千二百本
午前九時十五分より十二時まで、六百八十本
午後二時前より四時まで、五百二十本
刀は二十六年のものに同じ
明治二十八年十二月三十一日
居合数抜、千本
午前八時半少し過ぎより午後一時までに終り休息なし
刀は前年に同じ
驚くべき回数です。
しかも明治二十六年の記録時に福沢諭吉はなんと六十歳です!
ちなみに福沢諭吉は六十八歳で亡くなっていますが、明治時代の零歳男性の平均寿命は約四十四歳、六十歳男性の平均余命は約十三年です。
現代の感覚的には七十歳近い老人が一日千回居合を抜いたということになります。しかも二尺四寸九分の刀を。
それに比べて今の私の稽古はなんとぬるいことか!
しかし、ポイントは福沢諭吉は居合だけではなく、米つきも良くしたとある点ではないでしょうか。福沢諭吉は夏冬を問わず浴衣一枚で毎日一臼つくのを日課にしていたようです。「日常のスクワット」で書きましたが、「日常運動」の米つきがあったからこそ高齢にして居合を千回抜く体力があったとも言えます。
それにしても福沢諭吉おそるべし!