項(うなじ)に貌(かお)あり

前回の続きです。まだGW特別編です。

渡辺淳一「長崎ロシア遊女館」という本の中に「項(うなじ)の貌(かお)」という一編があります。

渡辺淳一氏は小説家ですが、医師でもあり、医師の観点から斬首を書いてます。
本の中で小塚原回向院に浅右衛門の刀があり、500人もの首を斬ってほとんど刃こぼれしていないという事実から骨を斬らないで首を落としたのではないかとの観点から医師としての考察を始めます。

「首の骨、すなわち頸椎は七つの骨から出来ている。(中略) 椎体と椎体のあいだには椎間板という軟らかい軟骨が挿入されていて(中略)その中間の椎間板を斬るということである。この部分は、厚いタイヤほどの硬さで、骨ほどの抵抗はない。(中略)成人男子の頸椎の椎間板の広さは、ほぼ1センチ前後である。」
この方法を骨標本を見ながら調べるが、首の骨の構造上、骨の間を斬れないことがわかります。一旦は「やはり浅右衛門は気合もろとも骨まで叩き斬ったのだ」という結論に行き着きますが・・・

そこからさらに考察が進みます。
渡辺淳一は晒し首の図を見ていて気がつきます。
晒し台に置かれている斬首された首は「首とはいいながら肝腎の首がない。要するに首ではなく、顔と頭しかないのだ。」

そこから頭蓋骨と第一頸椎の間の空間を斬れば斬首出来ることに気がつきます。ただ首を斬った先に顎の骨が邪魔することでまた行き詰まります。

その時、浅右衛門の「素直に、大人しく首を差し出すものより、頼三樹三郎のように悲憤している者のほうが斬りやすい」という言葉を思い出します。
これまで渡辺淳一氏は「大人しく首を差し出す者には仏心が起きてかえって斬りにくい、という意味だと受け取っていた。怒り憤る者は憎さが湧いて、かえって斬り易いと理解した」
「しかしこれはどうやらそれだけの意味ではなさそうである。従順に項垂れると顎骨が引きつけられてやりにくくなる。頼三樹三郎のように「くそっ」と、前に唾を吐くほど怒っていれば顎をつき出す。この位置なら顎骨に触れずに切り落とせる。」

その場所を探り続けた浅右衛門五代吉睦の言葉です。

「項に貌あり」