なぜ大阪のオバちゃんは派手なのか?

先日、NHK番組「チコちゃんに叱られた」で「なぜ大阪のオバちゃんは派手なのか?」という問題が出されました。
チコちゃんの回答は、「将軍様の言うことを聞かなかったから〜」と例の調子です。

 

番組によると、江戸時代になり経済の豊かさとともに庶民も余暇を楽しむことができるようになってくると、歌舞伎や浮世絵といった華麗な元禄文化が生まれます。すると庶民たちは歌舞伎役者の着物や髪型、化粧を真似し始め、着物は派手になっていったそうです。

 

しかしその後、「天保の改革」が出され、ぜいたく品は取り締まりの対象に。その結果、日本中の女性の着物は質素になってしまいました。その時、大阪は町人に勢いがあったため、権力に対する反骨心が強く、派手さを改めなかったと言うのです。大阪の女性たちは、着物の裏地や下着といった表からは見えない部分を派手にすることで、将軍に反対の意を表していたそうです。その反骨心が、今の派手なオバちゃんに繋がっているのではないかと解説しておりました。


そうなのかあ!
じゃあ大阪のオッちゃんたちはどうなの?
ここからは私の想像です。眉に唾して読んで下さい。

 

大阪ものと言われる刀は姿・派手さが優先されていると言う方もいます。
「脇差が多く、姿は万人向けで適度に反り。身幅頃合、平肉豊かで地刃は明るく冴えていて、派手な作品が多いと。刃文は技巧的で個性が強く、大阪沸と呼ばれる冴えた沸がつきます。焼き出しを長くとって、茎の仕立てが上手く均整がとれていて化粧やすりがあるものもあります。地鉄は杢目肌に地沸がついて柔らかく、刃文は横手まで続けて焼き、帽子は小丸。ただ総体的に実戦に向かないと言われています。」
このあたりは刀剣鑑定会の方からの受け売りです(^_^;)

 

そう言えば刀も江戸時代元禄頃、戦がなくなり新規の刀剣需要が激減します。そんな時に大阪の豪商達が豊富な資金力に物をいわせて一流刀工に派手な刃文の脇指を製作させることが増えてきます。当時、脇指一本であれば商人も腰に帯びることが許されていました。そんな時代に大阪で流行した刃文が打ち寄せる大波をイメージしたような、津田越前守助広に代表される涛爛(とうらん)刃です。当時の大阪の繁栄ぶりを想像させる豪快な模様です。

 

表立っては権力、武力を持っている武士に対抗出来なかったものの、次第に勢力を拡大させ、力をつけてきた商人たちが自分たちの財力を誇示するものが欲しかったんでしょうかね。

大阪のオッちゃんがオバちゃんに比べて派手な服装じゃあないのは服装ではなく刀に向かったから〜!(チコちゃん風)
う~ん、どうでしょう?