習うということ

私は小学生のころから地元の道場で柔道を習っていました。その後、その道場で小中学生に教えていましたが、就職と同時に転勤もあり、道場から足が遠のいてしまって、今日まで柔道着を着ることもありませんでした。そんな私が40年ぶりに柔道を教える機会に恵まれました。

 

しかも教える相手は高校生くらいの若者です。全て柔道未経験者です。

教えてみて、自分の勝手な思い込みを痛感しました。こんなことは当たり前だろうという私の思い込みはどこまでも柔道経験者の思い込みでした。

 

まず柔道着の着方は簡単なので帯の結び方ぐらいを直せば大丈夫だろうと思っていたのが間違いでした。着替えて出てきた彼らの中には左前で着てきた者もいる始末。もちろん帯の位置、結び方も様々です。

 

また人は慣れない動きをする時には肩や膝に力が入るため身体が伸び切るらしく、組み合うと棒立ちになる者が続出です。やはり身体を緩めて動くのは意外と難しいようです。

 

「足払い」という技は相手の出ている足のくるぶし辺りを足の裏で払うことで相手を倒す簡単な技です。簡単な動きなので一度見本を見せれば出来るだろうというのは完全に私の思い込みでした。彼らのイメージでやる「足払い」は足の甲で相手のふくらはぎをキックすることのようです。

 

背負い投げも相手を「投げる」というイメージからまず自身の身体を安定させようと足を大きく広げ過ぎて、踏ん張るばかりで上手くいきません。


やはり習っているとそうでないとでは雲泥の差があることを知りました。それが習うということなんだと。また人の身体はそんな簡単に動かないということも知りました。やはり稽古は必要です。

 

黒澤明監督の「七人の侍」でリーダー役の五郎兵衛が林田平八の薪割りの動きを見ただけで、野盗と戦う仲間にスカウトする場面がありました。五郎兵衛は平八の実力は中の下と判断しました。見る人が見れば、斧を振るう動きを見ただけで、どのくらい稽古を積んでいるかはわかるのでしょう。達人ならば実力さえも分かってしまうのだと思います。

 

五郎兵衛ほどではありませんが、長いこと稽古を続けていると、稽古着の着方や歩き方、木刀の振り方を見れば何となく、その人がどれくらい稽古を積んだかくらいはわかる気がします。