ある剣の師が緊急事態に直面して急遽、剣の極意を弟子に伝えます。
進退極まれば退くべからず
退くに利あらず
臆して引かば打たれ
火中に飛び込むとも
進めば本望をとぐ
この言葉に斬り合いのリアリティを感じます。
新撰組の近藤勇は「剣とは技よりも気組みである」と教えたそうです。
同じく新撰組の斎藤一は晩年、こんなことを語っています。「どうもこの真剣での斬り合いというものは、敵がこう斬りこんで来たら、それをこう払っておいて、そのすきにこう斬りこんで行くなどと言う事は出来るものではなく、夢中になって斬り合うのです。」
斬り合いのリアリティとはどんなものなんでしょう。
私の好きな作家である綱淵謙錠氏の本に「幕末風塵録」というのがあります。この本の「目撃者は語る」という章に武士の斬りあいの目撃談があります。
以下抜粋します。
「会津会会報」第77号(昭和45年度)に慶応4年(1868年)の戊辰戦争で実戦の場面を目撃した、次のような話が紹介されている。(高坂覚治「或る会津武士の最後」)
これは筆者の高坂氏が、それより40年前に宗田幸助という故老(福島県棚倉町在住)から聞いた話しだそうであるが、白河口で新政府軍と会津軍が戦ったとき、その宗田老は白河方面へ避難しようとして、かえって激戦の中に巻き込まれてしまい、偶然二人の武士の切合いを目撃した、というのである。
「一人は会津の武士、もう一人は官軍(新政府軍)の方でした。わしは恐ろしくて、震えながら、崖の上の木立の間からそうっと見ていやした。
お互い名告り合いやした。三十歳前後の武士でした。
刀を抜き合うと、シャリーンと刀の先が触れ合いやした。と同時位に後ろにニ、三歩退りました。退いたまま両人はねらい合う様にして動きません。
するとまたニ三歩ズズッズズッと前へ進み出ると刀の先がシャリーンと触れ合いやした。するとニ人の武士は又後ろに数歩後退しました。
そしておたがい真っ青になり、肩をいからして、その荒々しい息づかいが十間(約18メートル)とも離れぬわしの耳元にも聞えてきやした。
どの位の時間が過ぎていったのかわしは夢中でしたが、又シャリーンと云う音を聞いた時、どちらかの武士からか叫び声が起り、刀を打合う音がしばらく続き、又しばらくすると、地響きがする様にして二人は共倒れするのをまのあたり見ると、思わず目をふさぎやした」
極度の緊張と恐怖が支配する状況下での斬り合いは人の動きをこれほど制限します。
突きを得意としていたといわれる齋藤一は晩年こんなことも語ってます。
「突きは初太刀でうまくいくことは少ない。私が成功したのはほとんど三の突きでした。」