仇討ち

どうも私には特殊な能力があるようです(笑)
先日、都内の道を歩いていたところ、向こうからどこかで見た方が歩いて来ました。何と3年ぶりに会う知人でした。そこは人通りの多い道でもありません。しかも私も彼もこの付近には全く縁の無いところです。何でこんなところでと偶然の出逢いにビックリしつつお互いの近況を立ち話して別れました。

 

私には同じ様なことがよく起こります。会うはずのないところで会ってしまう能力?恐ろしいくらいです。しかしこうした「能力」が本当にあったら、江戸時代の仇討ちは随分と楽だったかも知れません。

 

読んだ本によると、実際の仇討ちは簡単ではなかったようです。敵討ちの期間中は禄は出ないし、親類縁者の支援もそう長くは続きません。しかし本懐を遂げるまでは帰れないし、金が底をつけば稼ぎながらの旅となります。ほとんどが仇が見つからないまま、疲れ果て、埃だらけ泥だらけになって朽ち果てるケースか多かったようです。

 

また仇討ちには決まりがありました。
あくまでも目上の親族に対する復讐のみで、さらにお上に届け出をして認められなければなりませんでした。


そんな仇討ちも明治6年(1873年)の太政官布告第37号をもって禁止されます。

その狭間で悲劇がおきます。禁止令前の慶應4年(1868年)に父母を殺された旧秋月藩士臼井六郎は同藩隊士一ノ瀬直久を禁止令後の明治13年(1880年)に仇として討ちます。
しかも仇を討たれた一ノ瀬直久は当時東京上等裁判所の判事でした。これ実話です。ドラマなどにもなってますので観たことがある方もいるかもしれません。

 

仇討ち禁止令の前であれば武士の誉とされて、皆から称賛されたはずなのに、禁止令の後だったために犯罪者として裁かれることになった臼井六郎。

 

理不尽ですが、これが私たちの生きている世界です。