日本人は腹が立たないのか

「きみたち日本人は、アメリカにこれほど残虐な目にあわされて、腹が立たないのか」


キューバ革命の伝説的英雄、チェ・ゲバラは広島の原爆資料館で憤ったそうです。
当時通訳担当だった見口健蔵氏は「ぎくっとしたことを覚えています」と語っています。


私もちょっとこれと似たような経験をしたことがあります。
あるオランダ人と仕事の話(もちろん通訳付きです)をした後で、一緒にマッカーサーの執務室を見学する機会がありました。見学の後でお茶を飲みながら、彼からこんなことを言われました。


「なぜ日本人は日本を占領した司令官の執務室などを残しておくのか?屈辱ではないのか?」

その時は時間的な問題や言葉の問題もあって、そのことを深く議論することはしませんでした。


某国では負の遺産である建造物を取り壊す動きがある一方で別の某国では同じような建造物を保存する動きもあります。

最近では人種差別デモで銅像が破壊されたり、廃棄されたことが問題となりました。


またタリバンが文化的、歴史的遺産のバーミヤン大石仏を爆破した映像を覚えている方もいるかと思います。


さらには列車事故の列車を地中に埋めてしまうという暴挙に出た国もありました。
粛清した人物を歴史映像から消し去ってしまうような国では大した問題ではないのかも知れません。

 

腹が立ったから、屈辱だから、考えが違うから、都合が悪いから無くしてしまえという思考は基本的に同じような気がします。


歴史は勝者によって作られるものだという人がいます。だとすればなおさら残すことに意味があるのではと考えたりします。


問題は無くしてしまうことではなく、どう残すかだと思います。