剣術修行の旅日記(1)

「剣術修行の旅日記」(永井義男作)朝日新聞出版社

 

を読んでみました。これが面白い!

 

副題には佐賀藩・葉隠武士の「諸国廻歴日録」を読む、とあります。

 

昔の剣術修行のイメージが少し変わりました。

 

日録の主人公は牟田文之助です。

父親は佐賀藩士鉄人流剣術師範吉村市郎右衛門。文之助は次男です。

鉄人(刃)流?

宮本武蔵の二刀流の流れを汲むそうです。すみません。知りませんでした。

 

嘉永6年(1853年 黒船来航の年です)に佐賀藩から諸国武者修行の許可が下ります。時に文之助24歳です。

 

しかしもともと剣術の流派は他流との立ち合いを禁じていました。理由は様々でしょうが、まずは秘伝を守るため。昔は道場も閉鎖的だったんですね。

 

ところが、時代がこれを変えていきます。竹刀と防具が発明された時期に合わせて、身分制度の実質的崩壊で庶民の中から武術稽古を始める人が増えてきます。

 

危険が排除されたことによる庶民の武術稽古ニーズと、「立ち合い」により実力を示して弟子を増やしたい新興流派ニーズが合致します。そのためそれまで「立ち合い」に消極的だった古参流派もその流れに飲み込まれていきます。まさに幕末の世は剣術ブームでした。

 

天保末年の頃には殆どの流派で「立ち合い」が解禁されたようです。そして「立ち合い」のシステムが構築されていきます。

 

文之助はそのシステムにのって「立ち合い」をしながら旅をしていきます。

 

続きは次回へ。