武術を習う者であれば相手の動きを察知してこちらが一瞬先に動くことが出来ればと思うと思います。
でもそんなことが出来るようになるのでしょうか?
ここに一つの原初的なヒントになりそうなものがあります。
舞踏には無音の舞台もあるので、複数の踊り手が一斉に動き出すために以下のような稽古をするそうです。
(天児牛大「重力との対話」から)
「二人の踊り手が同時に動きはじめる前、互いの呼吸の深度や、強さや、色合いを、穏やかに探っていく。すると徐々に、二人は同じリズムの呼吸をしはじめる。吸う、吐く、吸う、吐く。その繰り返しが同じ速度で規則的に行われるようになっていく。そしてあるとき「ふっ」と短い息を吐いて瞬間的に動きはじめるのか、あるいは「ふぅー」と長い息を吐ききって穏やかに動きはじめるのか、お互いの次の一歩が、直感で理解される瞬間が訪れる」
頭で「呼吸」を探ることではなく、あくまで「自動律」で動くために身体で探る稽古が必要なのだと言います。
「自動律」で動く?
呼吸を意識して動きをこなしていったら、おそらく動きは不自然で遅いものになるはずです。
再び天児牛大です。
言い忘れましたが、天児牛大は「あまがつうしお」と読みます。舞踏カンパニー山海塾の主宰者です。
「呼吸への意識が完全に培われたら、今度はそれを舞台上では極力忘れるようにと促す。-中略- 頭をなるべく空っぽにしてムーブメントをこなすように伝える。」
「考えることは身体を束縛してしまう
」
武術においても、火花が散るようにその瞬間が訪れた時、稽古の過程で育まれた身体が「自動律」に動いているというのがあるべき姿のような気がします。
まあ出来るようになるには気の遠くなるような稽古が必要で、出来るようになるかどうかはわかりません。
ただ、試験で書けそうにない漢字や解けそうにない数式問題が頭とは関係なく、ペンが勝手に動いて解けたという経験はありませんか?
過去に何度も同じ漢字を書き、何度も数式問題を解いているからこそ、身体が「自動律」で動いて解けたわけで、全く何もないところからは「自動律」は生まれないはずです。