薩摩剣術の使い手である静稽会のHさんが昔、こんなことを言ってました。
「突く時は敵の遠く後ろにある壁を突き破るつもりで、斬る時は地面を真っ二つにするつもりで」
稽古中にそんな彼の斬撃はどんなものかと思ってうっかり「私に打ち込んでみて下さい」と言ってしまったことがあります。
この言葉を聞いた瞬間から彼の目の色が変わり、蜻蛉の構えになった瞬間から物凄いオーラが出て来ました。
彼が本気で私の身体を縦に切り裂くつもりで打ち込んでくるのだと直感しました。ちょっと待った!と言おうとしましたが、時すでに遅し。
「ギェーーーーー!」
近藤勇の「薩摩の初太刀は外せ」の言葉が頭をよぎります。
とっさに受ける木刀を少し斜めにしたので、彼の刀はまともには当たらずにやや右に逸れましたが、それでもものすごい衝撃でした。
彼が言っていたのはこれかあ〜
幕末、薩摩剣士に斬られた遺体は、頭上から首まで両断されて誰だか判別ができなかったり、例え一撃を食い止めても刀が額に十字に食いこんで絶命するケースもあったそうです。
剣を受けた私は素直に頷けます。
斬る前に彼の全身から溢れ出たものがはっきりと感じられました。
一体、それは何から生まれたのでしょうか?
山海塾の天児牛大もこんなことを言ってます。
「遠くにある一点の星を指差す、そしてある時その指をすっと隣の星に移動させてみる。
数センチの移動だが、指し示した先の到達点での移動距離を考えてみると、これは星と星のあいだの何億光年という距離を、一瞬にして高速移動したことになる。そのような意識を自分のなかできちんと掌握して指を動かすのと、ただ単にすっと意味もなく指をスライドさせるのとでは、目に見えてくる動きの強度が天と地ほどに異なる。」
(岩波書店「重力との対話」から)
刀が建物を突き破り、水平線を超え、大気圏をも斬り裂いて、宇宙空間まで到達させることができるようになったらあの燃えたつようなオーラが出てくるのだと思うのです。
そんな仮想性にどっぷりと身を沈める感覚は本来の武術には欠かせないものなんだと思います。