マニュアルがあることに慣れてしまっている私たちは簡単に答えを求めてしまう悪いクセがあります。
以前、翡縁会の多々良先生とご一緒した時に、今考えれば到底答えの出ないであろう武術的課題について、二者択一的にお聞きしたことがあります。
先生の答えは
「どちらも正しいんです」
そのことに対して大した稽古も積まないで、とにかくどっちが正しいんでしょうか?と聞いてそれで済まそうとしたその時の自分に恥入るばかりです。
おそらく多々良先生はそんなことを簡単に聞く人に自分の言っていることなどは到底理解できないだろうと思ったのではないかと思います。
さらに失礼を顧みずに言わせてもらえば、多々良先生自身が常にあらゆることを探求し続けている人ですから、絶えず自分自身をリニューアルし続けているのだと思います。そうした中では最終的かつ完全な答えなんて持ち合わせているはずがないとも言えます。
振り返って考えてみれば私自身も常に変わっていて、静稽会発足時の動きや稽古の中身なども随分と変わってきています。
おそらくただただ簡単に教えて欲しいと思って稽古に参加していると
「話が違うじゃあないか!」
ということになると思います。
マニュアルを作ったり、動きをわかりやすく説明したり、動画をあげてみたり、ある段階ではそういう手段も必要な場合もあるだろうと思います。それを全面否定するつもりはありません。
でもまずそんな簡単には答えは見つからないと知るべきであり、だからこそ稽古する意味があるわけです。そしてどこまでも不完全であるという思いがないとそこで終わってしまうということです。
静稽会のOさんは時々稽古中に「分かった!」と声を上げます。でも日が経つと「やっぱりまた分からなくなった」と言います。それでもOさんは螺旋階段を昇る様に上達しているのだと思います。そしてこれこそ正しいあり方だと思っています。
2018年5月5日の静稽録「松下村塾」にも書きましたが、一緒に悩みながら稽古したいと思っています。そしてそんな稽古の過程こそ最も楽しいと思うのであります。
そういえば多々良先生の翡縁会がホームページをリニューアルしたそうです。
http://www.hien-kai.com/profile.html