NHK大河ドラマ「青天を衝け」では桜田門外で井伊直弼が暗殺され、これから怒涛の明治維新に向かってストーリーが進んでいくところです。
先日、豪徳寺にある井伊直弼のお墓をお参りする機会がありました。
有名な井伊直弼ですが、茶の湯、和歌、鼓などの趣味人だったと知っている人はいても居合の達人だったことを知る人は少ないです。
彼が学んでいた居合は新心流(しんしんりゅう)です。江戸時代の初期に活躍した関口氏成を祖とした流派で、彦根藩以外にも、尾張藩や桑名藩など多くの藩が取り入れています。
直弼は彦根藩の居合師範・河西精八郎のもとで修業を重ねて免許皆伝の腕前でした。そして31歳の時に自身で「新心新流」(しんしんしんりゅう)という新しい居合の流派を立ち上げてます。
流派の名前はちょっと言いにくいですね(笑)
桜田門外の変ではその新心新流の刀を抜かずに斃れました。
しかし新心流には「保剣」という考えがあると聞きます。
「刀を抜かずに勝ちを保つ」という心構えだそうです。
はたして直弼は刀を抜かずに勝ちを保ったのでしょうか?
井伊直弼のお墓の斜め後ろには正室の昌子(貞鏡院)のお墓がありました。そしてさらにそのずーっと後ろには井伊家を継いだ井伊直憲のお墓もしっかりあります。
もし武士の務めが御家名存続であるとするならば直弼は勝ったのかもしれません。
それにしても直弼は籠の外からピストルで撃たれてます。
いかに居合の達人とて防ぎようがありませんが、残念ながら武人としては事前の用心を怠ったとも言えます。