オリンピック競技を観ていた時にアナウンサーが「悲願の金メダル〜!」と言っていたのを聞いた妻は「どうして悲願なんだろね〜」と言ってました。
そう言えばその他の競技でも確かに「悲願」の連発です。
「悲しいほどの願い」なんだあ。単純にそう思ってました。
「悲願」は本来は仏教用語らしいです。でも今の使われ方はだいぶ違います。
確かに悲願と言われた選手たちは試合後のインタビューで泣いてます。
「ここに至るまでの道のりが悲惨な情況だったにも関わらず、それを乗り越えて願いを勝ち取った」ということなんですかね。
いかにも日本的だなあと思ったりもしてます。何度も困難に直面して、挫折を繰り返して苦難の末に願いを叶える、そういうの大好きですからね日本人は。もちろん私も嫌いじゃあないです。
確かにオリンピック選手たちはきっとそうした過程を経て舞台に立っているのだろうと思います。
でもなんだか、「悲願」じゃあなければならないとか、もちろん「悲願」でしょう?的なマスコミの押し付けも感じます。
新しい競技でメダルを取った若い選手たちの中には実にあっけらかんとしている人たちもいます。
もしかしたらあまりマスコミに注目されてなかった分、伸び伸びプレー出来たのが勝因なのかも知れません。
これはこれでサッパリしていて微笑ましいと思います。
選手達にはあまりマスコミの「悲願」に振り回されないでプレーして欲しいものです。