夜明けの月影

藤沢周平「夜明けの月影」という作品があります。

 

「すばやく、失った間合いを取りもどそうとしたのだ。とっさの空打ちは、新陰流では魔ノ太刀と呼ぶ刀法である。」

 

「八十郎が空打ちをしたとき、宗矩はもう刀を攻撃の横上段に構えていた。そこから疾風の打ちこみを八十郎の左拳に放ち、さらに踏みこんだ同じ姿勢のまま、目にもとまらず刀を返すと、右拳を打った。-中略-すばやくはげしい攻撃は、遠く陰流の祖愛洲移香斎の猿飛に起源する燕飛六箇乃太刀のうち、月影の刀法である。」

 

昔、この作品を読んだ時には描写の動きが完全には想像出来ませんでした。

 

静稽会は他流派も稽古します。この数年、燕飛六箇乃太刀も稽古に取り入れるようになりました。十分示唆に富んだ太刀だと感じたからです。

 

今は「夜明けの月影」の作品描写が自身の動きに重なって、よりリアルに迫ってきます。読み返すと以前とは違った迫力が感じられます。

 

同じものでも受け取り側の経験や知見が変わるとその世界観が大きく変わるというのは良くあることです。

 

あらゆるものが年を重ねると色どり豊かに、厚みを増して、奥深くなっていくようです。若い頃は気がつかなかった草花や山や川、雲さえも何かを訴えてくるように目に入ります。

 

今生きている世界がどう見えるか、どう感じられるかはそこに至る日々をどう過ごしたかにかかっているのだとしみじみ考えさせられます。