「どれくらいたったかな?」
「あとどれくらいかな?」
坐禅で坐っていると時々こんな思いが頭の中を巡ります。
全く坐禅になってませんね。
稽古をしている時にも同じようなことがあります。
もちろん、そんな時は稽古になってません。
菊池寛に「極楽」という小説があります。
京師室町姉小路下る染物悉皆商近江屋宗兵衛の老母おかんは周りから惜しまれつつも極楽に向かいます。
長い道のりの果てにようやく極楽に到着するとそこには先立った夫で先代の宗兵衛が座っています。その夫の隣に静かに坐って過ごす日々。
極楽は痛くも痒くもない、腹も空かない、暑くも寒くもない、苦しいことも一切ない世界です。美しい景色と音曲の中で静かに時が流れます。
やらなければならないことはなんにもない。ただただ坐っていればいいだけの世界。
おかんは夫に聞きます。
「何時まで坐るんじゃろ。何時まで坐っとるんじゃろ」
すると夫の宗兵衛は吐き出すように言います。
「何時までも、何時までもじゃ」
おかんは聞き返します。
「そんなことはないじゃろう。十年なり二十年なり坐って居ると、また別な世界へ行けるのじゃろう」
すると宗兵衛苦笑しながら言います。
「極楽より外に行くところがあるかい」
やがて未来永劫坐り続ける二人。
おかんは突然こんなことを言い出します。
「地獄は何んな処かしらん」
人とは不思議な生き物です。