前回の静稽録で「真剣は導かれ過ぎる」を書きました。早速、T先生からメール&アンサーブログをいただきました。
その答えがすごくカッコ良かったので一部紹介させてもらいます。
「稽古の主役はなにか?」に対するT先生の考えです。
「自身の稽古だからこそ主役は剣になり、自身は裏方になる必要があると考えています。
-中略-
主役の輝きは、鏡に映った裏方のそれでもあって、そこには主役も裏方もなく、ただ輝きだけがある。
武術で言えばこうした稽古の積み重ねが、我を消し、そうして浮かび上がる自分と出会い直し、更には道具や相手と一体になるような感覚を育むことにつながっていくと感じています。
かつて古人は、腰に帯びた刀の美しさ、勁さに見合う人になる。といった想いをもって稽古したという話をどこかで聞いたか読んだかした気がします。
そこには祈りにも似た何かが感じられて感銘を受けますし、武術を稽古する魅力もそこに集約されていると感じています。」
カッコいいなあ〜
「そこには主役も裏方もなく、ただ輝きだけがある。」
そんな輝きを見せていただいたことがあるからこそ、この言葉に心揺さぶられます。