電車に乗っていると、まだ出発時間になっていないのに電車が動き出した・・・と思ったら隣の電車が動いていたなんていう経験はありませんか?
対象には物理的運動がないにもかかわらず運動が知覚されるこうした現象を心理学用語で「誘導運動」と言うそうです。
その時に焦りながらも現実を見極めるにはどうしたら良いか?
簡単です。もう一つ別の動いていない場所(例えば地上)を見ます。
どっちの電車が動いているか分かって感覚も戻ります。
相対の対象当事者から見る動きというのはそういったものなのかもしれません。
隣の電車を見ていただけでは脳は騙されてしまいます。
宮本武蔵の「五輪の書」はこれまで何度もこの静稽録に引用してきました。
例えば水の巻 第三節「兵法の目付けといふこと」にはこんなことが書いてあります。
「敵の太刀を知り、聊かも敵の太刀を見ずと云事、兵法の大事なり。工夫あるべし。此眼付、小さき兵法にも、大なる兵法にも同じ事なり。目の玉動かずして、両脇を見ること肝要なり。か様のこと、急がしき時、俄にわきまへがたし。此書付を覚え、常住此眼付になりて、何事にも眼付のかはらざる処、能々吟味有べきものなり。」
「敵の太刀の位置を知っているが、少しも敵の太刀を見ないということが兵法では大事なことである」
「目を動かさないで両脇を見ることが重要だ」
こうした目付けを武蔵は「観の目」と言ってます。
稽古場にはいろんな動きが溢れています。
一体何がどう動いているのかを正しく知るためには相対の動きを見ているだけでは騙されます。
居合でも意外と動きを説明することが難しい場合があります。
それは「誘導運動」のようなケースが多いと感じたりします。
相手の動きも自身の動きも「観の目」で見る必要がありそうです。