「刀屋」という落語の人情噺があります。
夕方、深刻な顔をした若い男が刀屋に飛び込んできます。
「とにかく斬れる刀をください!」
刀屋が備前の刀を勧めると若い男はこう聞きます。
「この刀は斬れますか?」
「刀はどれも斬れますよ」
備前の刀は高かったのか若い男はもう少し安い刀を求めようとこんなことを言い出します。
「そんなに斬れなくても二人だけ斬れればいいので・・・」
この落語を聴くと思い出すことがあります。
昔、Sさんが刀を買うのに付き合って欲しいというので某刀屋にお付き合いしたことがあります。Sさんは刀屋に入るなり気持ちのいい啖呵を切りました。
「斬れる刀をくれ!」
するとその刀屋はニヤリと笑って「ありますよ〜斬れる刀」と異様に身幅のある長い中華包丁のような刀を出して来ました。
落語の「刀屋」では若い男が人を斬るのだと察した刀屋はそっと木刀を出して思いとどまるよう説得していきます。
考えてみればたとえ刀屋でも深刻な顔つきで「斬れる刀をくれ!」と言われたら不審に思います。
あの時は笑顔の似合うSさんだったのでもちろん深刻な話にもならず、今となっては笑い話で語られます。
それにしてもあの時の刀屋は何が「斬れる」ことを想定して刀を勧めたのか?気になるところです。
結局、Sさんはその時に勧められた刀は買いませんでした。
しかし刀にとって「斬れる」ということがいかに特別で魅力的なことかがよくわかります。
刀に対する思いがすすむと刀は「斬れる」だけではないことに気がつくんですけどね。
落語の方の結末が気になる方は是非、落語を聴いてみて下さい。