「我が身世にふるながめせしまに」
百人一首で有名な小野小町の歌の下の句です。
上の句は
「花の色はうつりにけりないたずらに」
花の色が時の経過とともに色褪せていく様を自分の美しさが衰えていくことに重ね合わせて、はかなさを詠んだ歌だと教わりました。
これを現代の女性歌人が詠んだとしたら周りはどんな反応をするでしょうか?
共感するでしょうか?
受け入れる人たちの感じ方が違うので、もしかしたら全く違う受け取り方をされてしまうかも知れません。
これは昔の映画やテレビドラマ、小説、落語などでも同じことがあります。
先日、テレビで昔の演歌を放映していました。その歌詞は今では完全にアウトだろうなあと思いつつ、昔はこの歌詞になんとも思わなかった自分がいたことを自覚しました。それは良い悪いという意識とは別次元でもう毛細血管にまで行き渡り、体に染み込んでいるのだと思います。
演歌だけではなく普通の歌謡曲でさえ今聞いたら驚くような歌詞が沢山ありました。
私はそんな時代を生きてきたのだとしみじみ思います。
またあるベテラン俳優さんがこんなことを語っていました。
殺し屋役でタバコをポイ捨てするシーンの時にディレクターから「あっ!それNGです」と言われたそうです。殺しそのものよりもタバコのポイ捨てが問題だと言うのです。
「じゃあどうすりゃいいのさ!」
ベテラン俳優の嘆きです。
寅さんの映画にも「放送上不適切なせりふがありますが、作者の意図を尊重してそのまま放送します」というテロップが表示されます。
そう言う時代なのかもしれません。
星飛雄馬が父一徹に平手打ちされてもなんとも思わなかった私が見ている世界はきっと若い人たちとは見えている世界が違うのだと思います。
少なくとも私と同じ時代を生きてきた人は自分だけは違うなんて思わない方がよいかもしれません。
体に染み付いたものはそんなに簡単には落とせませんから。
また簡単に落とせたとしたら、その人のそれまでの人生はなんだったのか?とも思ったりもします。
我が身世にふるながめせしまに
くわばらくわばら(笑)