中国語で「老眼」は「花眼」と書くそうです。
なかなか美しい中国語です。
若い頃は見向きもしなかった草花だったのに、年をとるとふと足を止めて眺めたりするようになります。
「もうこの花が咲く季節かあ。そう言えばこの花の名前はなんだったかなあ?」
「花眼」になると花だけではなくそれまで見えなかった色んなものがみえてきます。
日本の「老眼」は見えなくなることしか意味しませんが、中国語の「花眼」は見えるものを表現しています。
さすがは漢字の国です。それに昔は儒教の国でしたからね~
武術でも「若眼」では見えなかったものがみえる瞬間があります。
ぼーっと「花眼」で観ると意外なものが見えたりします。
「手を上に伸ばして下さい」と言うと・・・
指先に力を入れて指先を一生懸命伸ばそうとします。しかし伸びるのは指先ではなく腕、肩、脇、さらには腰、脚、足裏へとつながるラインです。
「両足を揃えてから右足を45度外側に開いて下さい」と言うと・・・
右足先だけを外側に動かす人、右脚を外側に回す人、右股関節を外旋させる人、さらには右ではなく左股関節を外旋させる人、そして左膝なども使いながらそれらを複合的に使う人・・・
表に現れる動きは一見同じように見えますが、中身は大きく違います。
初心者はどうしても一番動くところに目がいきます。でも動かしているのはそこではありません。そしてそれは一箇所ではなかったり、裏側だったり、根元だったり、もっと複雑で複合的です。
刀の切先ばかりを目で追ってしまうのも初心者あるあるです。切先を見てしまうともう何も見えてきません。
宮本武蔵は「観の目つよく、見の目よはく、遠きところを近く見、近きところを遠く見る事、兵法の専なり」と言いました。
見えないところを見るためには「花眼」が役に立つ時もあります。