私が参加していた坐禅会では「拈華微笑(ねんげみしょう)」という言葉を良く耳にしました。
確かこんなお話です。
「お釈迦さまが霊鷲山の説法の座に座って、黙って花をひねって示したところ、誰もその意味がわからなかった。しかし一人摩訶迦葉(まかかしょう)だけがお釈迦さまの真意を悟って微笑した。それを見たお釈迦さまは確かに仏法が摩訶迦葉に伝わったと話された。」
摩訶不思議、なんじゃこりゃです。
この話は「以心伝心」という風に伝えられますが、私は少し違うと感じています。
実は武術でも似たような瞬間を感じることがあります。
この話が載っている原文にも「不立文字」や「教外別伝」とあることから私はそちらの言葉の方がすんなり腹に落ちます。
要は「悟りは言葉や文字、理論によって伝わるものではない」というわけです。私は坐禅を組んでも到底「悟り」を得ることが出来なかったので、このことは「悟り」の部分を「武術の核心」に変えることでボンヤリとですが少しだけ実感が湧きます。
さらに進んで考えれば「武術の核心」は「言葉や文字、理論では伝わらないから気をつけろ」ということだと自戒しています。
では何で伝わるのか?
坐禅では自身が体験して実践することでしか伝わらないと言われます。武術も全く同じ気がします。
聞くところによれば庭のカラスの鳴き声を聞いても悟る人は悟るそうですから、「武術の核心」はうっかり転んだ時に得られるかもしれません。
もちろんしっかり稽古を積んだ人だけの話です。