月影

昨夜は「中秋の名月」でした。

月を愛でるという感性は優雅でいいですね。

 

そういえば私が子供の頃、「素浪人 月影兵庫」というテレビ時代劇をやってました。

 

主役の月影兵庫役は近衛十四郎、松方弘樹の父親です。もう近衛十四郎どころか松方弘樹さえ知らない人が多いでしょうね。松方弘樹は「仁義なき戦い」シリーズのコワモテ役でしたが、バラエティ番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」では全く別の顔を見せていました。

 

テレビの中の月影兵庫は柄の長い刀を差していて殺陣もカッコよかった記憶があります。

私の差し料の柄がやや長いのは月影兵庫への憧れからかもしれません。

 

「月影兵庫(ツキカゲヒョウゴ)」という名前は音(オン)が心地よく、「月影」と「兵庫」(意味的には「武器庫」)という対照的な組み合わせも面白い。

 

私は長い間、「月影」は単純に月の光が作る影だと思っていました。

「月影」が月の光そのものを表していると知ったのはずーっと後のことです。

 

昔の日本は現代のような太陽暦ではなく太陰暦でした。太陰暦は月の満ち欠けに基づいて一ヶ月をさだめる暦です。

 

そんな月が今よりも特別な存在だった時代の「月影」はさぞかし古人の心を震わすものだっただろうと想像できます。

 

「月光」「月明かり」「月下」「月華」など月の光を表す言葉はたくさんありますが、私は「月影」の表現がとても文学的な感じがして好きです。

月の光というよりも本来は月の姿を表している「月影」は「面影」と同じで朧げな感覚表現が秀逸です。

 

先日、三井記念美術館「超絶技巧、未来へ!」で大竹亮峯氏の「月光」という作品を見てきました。ゾクゾクするほどの迫力がありました。やはり月の光には特別な何かが宿っているようです。

 

「月影」を感じさせる曲ではドビュッシーの「月の光」やベートーベンの「月光」もありますが、私は断然「月の沙漠」だと思っています。

 

「素浪人 月影兵庫」の原作者南條範夫はどんな思いで主人公に「月影兵庫」という名前をつけたのか?

そう言えば以前に読んで衝撃を受けた「シグルイ」(原作名「駿河城御前試合」)の原作者も南條範夫でした。

刺激的な作家です。

 

中秋の名月を見ながら無限に妄想が広がりました。