翡縁会HPのブログ「稽古つぶやき」に試斬のことが書いてありました。
まさに試斬に対する私の思いと同じだと感じました。静稽会で試斬会に参加された方々は全員このブログで書かれていることに共感するのではないでしょうか。
それほど試斬の核心をついた内容だったので、一部抜粋させていただきます。
「できるだけ今までの感覚を捨てて、剣に任せる感じを心掛けて少し軽く振れていたが、後半は斬ろうとする気持ちが出てきて、積極的な斬りになってしまっていた。
それが悪いわけではないが、斬りに対して余計なものでしかない場合が多いので、どちらも使い分けてできるようにしたい。
ただ、まずは軽く斬る、剣を尊重させることを安定させたい。
-中略-
剣と一体になっている感覚があるときもあった。
ただ、軽く剣を振ったら斬れないのでは、という不安感が常にあった気がする。
-中略-
試斬は奥が深い。斬ろうとすればするほど斬れない。
誰かに昔、どう斬っているのかと聞かれたことがある。
牛乳パックと対峙して、斬る瞬間に、斬ろうと思わず、斬れていると思うことかなあ、
といったことを答えた気がする。
今日初めて体験した人も何人か。
今回は苦戦気味の人が多かったが、斬れる感覚をつかむところまでいってほしい。
素振りをやってもらって斬りをやるが、素振りと斬りが同じようにやることがまず難しい。
いかに実際に斬るときに、斬ろうとする意識を消せるか、自分との戦いになる。」
私は以前、試斬会でこんなことを言ったことがあります。
「「斬ってやる」と思ったら斬れない。また「斬れるか?」という思いが一瞬でもよぎったらもう絶対に斬れない。」
ケンシロウの「お前はすでに死んでいる」の世界なのかもしれません。
1990年2月10日、新日本プロレス東京ドームでの試合の直前、控室でピリピリしたムードの中、テレビ朝日の佐々木正洋アナウンサーがアントニオ猪木にこんな質問をします。
「もし負けるということがあると、これは勝負の時の運という言葉で済まないことになりますが?」
「出る前に負ける事考えるバカいるかよ!」
そしてアナウンサーをビンタ
「出てけコラー!」
アントニオ猪木がカメラがまわっているにもかかわらずアナウンサーにビンタした本当の理由はなんだったのか?
試斬を単なる刃筋の稽古としか捉えられない人は永遠にわからないと思います。
翡縁会副代表でんこさんの言うようにまさに試斬は「自分との戦い」なんです。
<翡縁会HP>
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