昔、柔道をやっていた頃には随分と受身の稽古をやらされました。
どうしても「やらされた」の記憶です(笑)
以前も書きましたが、当時の柔道の師が受身にこだわった指導をしていたからです。
ただその頃の私は投げ技を習いたいという気持ちが強くて「受身なんて投げられなければ不要だ」くらいの思いでおりましたから、当然、受身には身が入りませんでした。
あれから40年!(綾小路きみまろ風 しかも実際は50年?)
2022年5月19日付けの翡縁会HP「稽古つぶやき」で多々良先生がこんなことを熱く語っておりました。
「基礎の型とは何か?と再度問われたら。受身、と私は答えるかもしれません。というか答えます。 ー中略ー 少なくとも、当会において求めている学びのエッセンスは、受身の稽古によって端的に触れて養うことができます。いや、本当に。受身は、心身の変容を促す万能のメソッドですよ!!」
<翡縁会HP 稽古つぶやき>
https://hien-kai.blog.jp/archives/14686677.html
すでに2年近く前の「稽古つぶやき」ですが印象に残っています。
「それほど熱く語る受身とは一体どんな受身なんだろう?」
「私がやっていた受身とは何が違うのだろう?」
どうも私が思っている受身とは根本的に違うらしい・・・
その後、書籍や動画などで受身をいろいろと試行錯誤しておりました。
そんな折、今年の新年会で翡縁会の先生方とお話をする機会があり、その受身稽古の中身を伺って受身を再構築しました。
基本の受身は昔やっていた動きとさほど変わりません。
立った状態からしゃがんで後ろに転がるだけです。ヘソはしっかり見ます(笑)
柔道も一見同じ様な後ろ受身をやりますが中身が違います。
そこに「脱力」「重力」「感じる」を加えました。そして「足裏」も。脱力して垂直に落ちるようにしゃがみ、後ろに転がります。最後に足裏から重力を解放します。
2021年3月13日の静稽録で「卵を立てることから」という題で野口体操のことを書きました。そして舞踏カンパニー山海塾には「卵を立てることから-卵熟-」という有名な作品があります。
なぜ卵なのか?
なぜ卵を立てることからなのか?
なぜそれが舞踏につながるのか?
なぜ舞踏は「踏」なのか?
これまでずっとモヤモヤと考えていました。
そしてなぜ受身を稽古するのか?
3年前の静稽録で「追いかけたい」と言っていたものがつながって、よりアグレッシブな受身が見えた気がします。
「ちょっとの力で卵がたおれるということは・・・」(野口三千三氏の言葉)
おそらく受身稽古はさらに進化していきます。
スキー、柔道から舞踏に転調して居合・剣術。
坐禅五年でダルマになってヨガへ。
今度は卵を立ててから三年後に受身に変化しました。
私の中ではすべて心身ともにつながっています。