優しさにひとつ気がつく×でなく⚪︎で必ず終わる日本語 俵万智
最近の若者はLINEの文章に「。」「、」(句読点)をつけたがらないらしい・・・
なんで?
若者は句読点を付けられると自分の責任を追求されていると感じたり、圧を感じるんだそうです。
なんと私が若者に送ったLINEメールは詰問に近いニュアンスと受け取られていたのか・・・?
早速、若者から私に送られたLINEメールを確認してみました。
確かに・・・句読点は無い・・・
そうだったのか〜
若者はLINEを「会話」だと思っているのに対し私たちは「文章」だと思っている違いなんだそうです。
「会話」だと思っているLINEに「文書」で応じることは、普段着の若者の中に濃紺スーツ姿のオヤジが紛れ込む感じか?
それとも若者の内輪の飲み会に参加したオッサンがずっと敬語で話す感じか?
あまり例えがうまくいきません(笑)
でもそれって違和感こそあれ悪いことか?
俵万智さんが短歌で詠んだように、そもそも句読点は読みやすくするための工夫で相手に対する「優しさ」なんだからいいじゃあない?とも思ったりします。
年長者は若者とは時代感覚も価値観も慣れ親しんだテクノロジーも違います。それは当たり前のこと。むしろ違いがあるからこそ良いのでは?
加えて妙に若者に媚びる年長者もどうかと・・・
若者に共感や好印象を持たれることばかり考えている年長者はかえって若者、年長者両方から共感されないような気もします。
ちなみに目上の人に出す挨拶状などには句読点をつけると失礼だと言われていますので・・・若者、年長者それぞれそのままでいいのではないかな?
稽古はもちろん〇で終われる方がいい!