これまで一体何本素振りをしただろうか?
何度か「これだ!」と思った素振りはありました。
しかしそれはあとから考えればヒントが見えた程度のものでした。
未だ会心の一振りは出ていません。
静稽会では基本を繰り返し、繰り返し、飽きるほど繰り返し稽古します。
シンプルな稽古ほど奥が深く、難しいものです。素振りなどはその最たるものかもしれません。
シンプルな稽古を続けるにはそこにどれだけの思いが込められるかにかかっています。
そんな思いを代弁してくれた人がいます。
I fear not the man who has practiced 10,000 kicks once, but I fear the man who has practiced one kick 10,000 times
(1万通りの蹴りを1度だけ練習した者は怖くない。私が恐れるのは、1つの蹴りを1万回練習した者だ)
言葉の主は武術家ブルース・リー
私の素振りはとっくに1万本は超えているはずなんですが・・・
まあ凡夫は天才の10倍やっても追いつくとは限りませんからね〜
2019年4月19日付けの静稽録に「福沢諭吉と居合」を書きました。
その中で福沢諭吉は日記に
「明治二十八年十二月三十一日
居合数抜、千本
午前八時半少し過ぎより午後一時までに終り休息なし」
と書いています。
もちろん千本抜きなどそうそうできるものではありませんが、1回で千本なら10回でもう一万本です・・・しかも単なる素振りではなく居合数抜です。
よく「一生稽古」と言いますが、私は命のあるうちに本物の素振りを味わいたい・・・
そんなわけで老いゆく身体と戦いながら焦って稽古しています。
ちなみにこの日記を書いた時、福沢諭吉は62歳。
もしかしたら福沢諭吉も同じ気持ちだったかもしれません。