現在、日本経済新聞の「私の履歴書」に大学のゼミで2年生から4年生まで教えを受けた北岡伸一先生が連載されています。
昨年、北岡ゼミ最古のOB数名と北岡先生を囲んで会食する機会がありました。
先生が昔と変わらぬ姿でにこやかにお話になると会の雰囲気はゼミで議論していた頃に戻ります。これが北岡ゼミの形のようです。
北岡先生はあの頃と変わらず、今でもびっくりするほど若く見えます。そして今でも私に影響を与えています。
2019年4月19日付けの静稽録「福沢諭吉と居合」もその一部を北岡先生の著作「「独立自尊」福沢諭吉と明治維新」から引用させてもらいました。
実はこの「福沢諭吉と居合」は静稽録の中でも過去一番閲覧数が多く、今でもそれを超えるものはありません。
そのことをキッカケに福沢諭吉が稽古した立身流居合を研究し、昨年の稽古総見でその一部を披露させてもらいました。
立身流を研究、稽古してみるとさらに福沢諭吉の別の凄みを実感します。
立身流には独特の「数抜」と言う稽古があって一日三千本、三日で一万本を通すそうです。基本の技、動きを体に染み込ませ同時に体力をつけるのが目的で、本来は二人組みで行われるそうですが、福沢諭吉の場合は一人で抜いていたようです。
それにしても驚異的な数です。一本でも真剣で居合形を抜いたことがある人ならその凄さがわかるはずです。(当然、福沢諭吉の時代には真剣しかありませんので、真剣を使って驚異的な数抜をしたということです)
立身流には基本にして極意と言われる後の先(ごのせん)の「向(むこう)」と先(せん)の「圓(まるい)」がありますが、足の運び、抜刀の仕方や守りの動きが独特です。
立身流の居合形を稽古していると福沢諭吉も同じ形を抜いていたのかと感慨深いものがあります。形は時を飛び越え、それを稽古した古人とつなげてくれます。
福沢諭吉の著作を読むだけでなく、刀を抜き、同じ形を稽古するとまだ荒々しさが残る時代に生きた福沢諭吉の息遣いが聞こえてくるようです。
この体験を踏まえて福沢諭吉の著書をもう一度読み返すとまた違った福沢諭吉が見えてくるかもしれません。