昔、柔道の師はよくこんなことを言いました。
「礼一つ見ただけでその人の技量がわかる。隙のない美しい礼が出来る人は手強い」
私は強くなりたい一辺倒の子供たちに礼の大切さを教えるための師の「方便」だと思っていました。
礼を「頭を下げる」ことだと理解している人がいます。
それが正しいとすれば、最近よく見かける首から上だけ下げて「ウィ〜ッス!」もありということになります。
中学生の時、英語の授業は
「stand up!bow!sit down!」(起立!礼!着席!)
で始まりました。
英語でbowは「弓」「弓状に曲がる」という意味です。
これも師が教えてくれた隙のない美しい礼ではありません。
正しい礼は股関節を使って腰から体を静かに折り曲げます。体は「弓」のようにはなりません。
礼の時には膝は固めず少し緩めています。自然体の「構え」ともいえます。
師は武術的な意味でも股関節や膝の緩みが正しく使える人は技量が高い可能性があると言いたかったのではないか?
そんなことを思ったのはかなり後のことです。
元々、柔術を教えていた師でしたから、いろいろな意味を込めていたのかもしれません。
もちろん正しく美しい礼の出来る人は余裕もあり高い精神性と技量を備えているから十分気をつけろと。
師はそう言う人でした。
また礼は相手から自分がどう見えているか?自分は相手をどう見ているか?ということが大事です。
こちらの理由の方が直接「手強さ」に通じるかもしれません。
「彼を知り己を知れば百戦殆からず」
礼一つではありますが、礼一つでわかることもたくさんあります。