肥前吉廣 二尺五寸二分
現在、私と稽古を共にしてくれている差料です。
真剣で稽古を始めてから15年ほどの時が経ちました。
真剣に切り替えるまで居合刀(模造刀)で十分稽古したとは言え、初期の真剣稽古は敵を斬る意識どころか、むしろ真剣で自分自身を傷つけないか?という恐怖の方が強かった気がします。
真剣のパワーが自分を圧倒してきました。
真剣から立ち昇る霊気
耳の近くを通り抜ける刃音
空間を切り裂く先鋭
手に触れる深い冷感
真剣という「鬼神」が自分の体の一番近くにいるという感覚はなんとも形容し難いものです。
重さ、長さ、バランス、形状が同じでも居合刀(模造刀)と真剣では全く違います。
そして一回でも「鬼神」と一緒に稽古するともう元には戻れません。
「鬼神」に取り憑かれてしまいます。
真剣稽古は「鬼神」からまず自分の身を守る稽古が必要になります。
刀を差している時は必ず鍔を親指で押さえます。そしてその親指は絶対に刃の上には置きません。
例えば刀を差したままうっかり落としたものを拾ったりすると刀が鞘から飛び出す可能性があります。
そんな時、思わず飛び出した刀身を掴んでしまったりすると・・・
その他にも真剣稽古には自分を守るための「ルール」がいくつかあります。
うっかりその「ルール」を失念すると「鬼神」は冷水を浴びせてきます。
そんなヒヤリ経験を経て心の隅々まで「ルール」の大切さが染み渡ります。
自分を守る「ルール」とともに一緒に稽古をする人を守る「ルール」もあります。
万が一、誰かをケガをさせてしまったらもう稽古は続けられません。
ですから「ルール」を守るのは絶対です。前に立つ人は安全管理が最優先になります。
(お陰様で静稽会は発足以来、安全に稽古が続けられています)
そんな緊張感が稽古場に漂い特有の雰囲気が作り出されます。だからこそ稽古が非日常になります。
考えてみれば袴に着替え、俗世から「結界」で切り離された稽古場という聖なる空間(だから入退出に礼が必要になります)の内側で「鬼神」と一緒に稽古する訳ですから、非日常になるのは当然です。
真剣稽古を続けているとやがて「鬼神」は自分を見守ってくれる頼もしい存在になってくれます。
稽古の度に手入れをしたり、時々眺めたりして親交を深めます。
たまには目貫や鍔、柄巻きなどもかえてあげます。
するとさらに「鬼神」が寄り添ってくれます。
そんな「鬼神」との付き合いも居合の魅力の一つです。
もしかしたらそんな「鬼神」に巡り会えるかもしれません。
毎年恒例の大刀剣市が11月2日(土)〜11月3日(日)に開かれます。
ガラス越しにみる美術館の刀ではなく、近くで見て、触って、重さや匂い、そしてオーラを感じる「鬼神」です。