藤沢周平著「たそがれ清兵衛」は山田洋次監督で映画化もされました。
最近「SHOGUN 将軍」でエミー賞を受賞した真田広之さんが主演の井口清兵衛を演じています。
ちなみに映画では井口清兵衛の上意討ちの相手、余吾善右衛門は舞踏ダンサー田中泯さんが演じてます。
実は小説と映画では設定もストーリーもだいぶ違っていて、比べてみると面白いです。
小説では清兵衛の剣術について「松村と申す無形流の道場があります。いまもむかしも映えない小さな道場ですが、井口はこの道場に学んで、若いころは師をしのぐと評判があった遣い手だった由」としか書かれていません。
映画の方は戸田(富田?)流の小太刀の遣い手という設定になっていますが、小説ではどこにも小太刀とは書かれていません。斬り合いの描写でも小太刀を使った形跡はありません。
ちなみに余吾善右衛門の方は映画では一刀流です。小説では余吾善右衛門にあたる人物の北爪半四郎は小野派一刀流と書かれています。
以下は映画の中での清兵衛のセリフです。
「私が戸田先生から教えてもらったのは小太刀でがんす。あんたとは、小太刀で戦うつもりでがんした」
すると余吾善右衛門は
「小太刀? そのような小手先の剣法でこのわしを殺すつもりだったのか。お主、わしを甘く見たなぁ!」
そう言うと刀を取っていきなり斬りかかります。
実は映画でこのシーンを観た時には余吾善右衛門の言葉が腹の底に落ちていませんでした。
その後、小太刀を習うようになって初めて余吾善右衛門の言葉の重みが伝わってきました。
大刀に対して小太刀で向き合うとよくわかります。
刃の長さが圧倒的な差となって迫ってきます。
映画のシーンが室内戦とはいえ、確かに刃の長さの差を埋めるのは難しいのでは?と感じてしまいます。
もちろん小太刀を「小手先の剣法」とは思いませんが、二人ともかなりの遣い手だということを前提に考えれば、それまで清兵衛に同情的で穏やかに話していた余吾善右衛門が突然怒って斬りかかったのも頷けます。
余吾善右衛門はよっぽど侮られたと感じたのでしょう。
映画の中のその後の斬り合いシーンは見事です。
時代劇にありがちなきれいな戦いではなく、泥臭い斬り合いが展開します。この辺りはやはり真田広之さんのリアリティなのでしょう。間合いの取り方なども見どころです。
一方、小説の方の斬り合いはサッパリした描写で済ませています。
時代劇にこんな斬り合いシーンがあると嬉しくなります。