所作の大事

先日、ある葬儀に参列し焼香させていただきました。

 

焼香の所作はさほど難しいものではありません。

みなさんほとんど同じような所作が続きます。

それでも人によって随分と違って見えるものだと感じました。

 

心打たれる所作の方もいる一方、なんだか残念な方も。

 

一体何が違うのか?

 

残念な方で一番多いのが一つの所作が終わってないのに次の所作が始まってしまう人です。

 

遺影のある祭壇に向かう途中で歩き終わらないうちに礼をしてしまう方

焼香が終わって遺族の方への礼で方向転換を終えていないうちに礼をしてしまう方

 

一つ一つの所作の輪郭がボヤけてしまい残念ながら礼をしている様には見えません。

「そんな人はいない」と思うかもしれませんが、本当にあなたは大丈夫でしょうか?

緊張していると意外と気がつかずにやっている人は多いと思います。

 

次に多いのが所作が速い人です。

早く済ませたいのかチャチャとやってます。

焼香が所作に見えず作業のように見えてしまい、礼もニワトリのようです。

遺影すら見ていないのではないか?と感じられる人もいます。

 

他にも多いのが礼の時に指先が開いている方、頭だけを下げる礼の方などなど

 

どの所作も故人に対する尊崇の念が伝わっているようには見えません。

そしてなにより美しくない・・・

 

居合を稽古しているとどうしてもそうした所作が気になってしまいます。

所作は単なる動作ではありません。

 

残心は?

敵付けは切先が敵に向いているか?

残心と敵付けの区別はついているか?

血振りの途中で納刀の準備をしていないか?

指先まで心が行き届いているか?

目付はどうか?

首は落ちていないか?

間の取り方は?

取り上げればキリがありませんが・・・

 

居合でも心が定まっていない所作は見ていてわかります。

所作は一つ一つを丁寧にやることが求められます。

演武の時だけちゃんとやればいいと思っている人は必ず普段の稽古の所作が出ます。

これは必ずです。

 

初心者の方には一つの所作ごとに一呼吸もしくは二呼吸入れるようアドバイスします。

時には50%の速さでやるようにと言うこともあります。自分が感じる速さと見ている人が感じる速さはまるで違います。

所作以外の動作に引っ張られるとどうしても所作が速くなりがちです。

 

所作は心のあり様が出ると言います。

人によっては心を込めてやれば良いのだという人もいますが、そんな単純なものでもありません。

 

私は「心から所作」を稽古するのではなく、まずは「体から所作」を稽古することでやがて心のあり様が定まる美しい所作になっていくと思っています。

 

所作も大事な稽古です。