藤沢周平氏の小説「祝い人(ほいと)助八」には「隠しとどめ」という作法が出てきます。
「祝い人」は小説の中で「祝い人は物乞いのことだ」と書かれていますが、小説の主人公伊部助八はもちろん「物乞い」ではなく「もっぱら身なりの穢さが原因である」と書かれています。
「祝い人」という言葉にも深い響きを感じます。
この小説「祝い人助八」はそのストーリーの大半が映画「たそがれ清兵衛」の元になっているようで、たそがれ清兵衛の身なりもこのあたりを参考にしたと思われます。
さて「祝い人助八」です。
助八が想いを寄せる幼馴染の波津。波津の元夫甲田豊太郎は酒乱で離縁後も波津の実家を度々訪れては暴れていました。
行きがかり上、甲田豊太郎と試合うことになった助八です。この試合には勝ちましたが、そのことが元で藩の討手として殿村弥七郎という直心流の剣客と斬り合わなければならなくなります。
「助八は立ち上がった。力の失せた足で殿村のそばに寄ると、もう一度生死をたしかめて、刀の血をぬぐった懐紙を殿村の袂に押しこんだ。作法にしたがった隠しとどめである」
昔の武士の作法では斬り合いが終わったあと「隠しとどめ」といって、刀を拭った懐紙は死体の着物の袂へ入れておいたそうです。
そんな作法があったんですね。
確かに昔の時代劇などで見かけた記憶があります。
これは武士が人を斬った恐怖から慌ててその場を離れたのではなく、冷静に後処理をしたという証にするためだそうです。
証を残す作法というのも面白いですね。いや作法はそういうものかもしれません。
ちなみに映画の「たそがれ清兵衛」には「隠しとどめ」のシーンはありません。
そもそも貧しかった助八が懐紙など持っているのは考えにくい。
いやいや藩命による討手だから懐紙くらいは用意したはずだ。
家屋の外に藩の役人が待っていたので隠しとどめの必要はなかった。
いろいろ想像すると面白いです。