1992年、あまりにも有名なマイケル・ジャクソンのルーマニア・ブカレストコンサートのオープニングです。
マイケル・ジャクソンはステージに登場してから立ったまま微動だにせずに沈黙を続けます。
その間、1分39秒。
まず首だけを動かします。
そのまま7秒。
その後、ゆっくりとサングラスを11秒かけて外し、ターンを決めたところでオープニング曲が始まりました。
もちろん観客は狂喜乱舞。
伝説のコンサートと言われています。
登場から2分もの「間」です。
多くの観客を前に2分間の沈黙に耐えられるエンターテイナーはなかなかいないでしょう。
世阿弥が書いた能楽論「風姿花伝」には「時節感当」ということが書かれています。
ちょっと長いですが引用します。
「申学(さるがく)の当座に出でて、さし事、一声を出だすに、その時分の際あるべし。早きも悪し、遅きも悪かるべし。まず楽屋より出でて、橋懸に歩み止まりて、緒方を窺ひて、「すは、声を出す」よと、諸人一同に待ち受ける、すなわち声を出すべし。これ諸人の心を受けて、声を出だす時節感当なり」
マイケル・ジャクソンはこの「「すは、声を出す」よと、諸人一同に待ち受ける」をギリギリまで引っ張り最高潮にまで持っていきました。
まさに「時節感当」です。
彼はこの「時節」をどうやって捉えたのでしょうか?
世阿弥は続けて書いてます。
「この時節はただ見物の人の機にあり。人の機にある時節とは、為手(シテ)の感より見する際なり」
世阿弥は「自分の直感で感知するしかない!」と言い切ってます。
なんとも突き放した言い方ですが「そりゃあまあそうだよなあ」です(笑)
「阿吽の呼吸」などと言いますが、「時節感当」はある意味「呼吸」とも言います。
稽古ではその「呼吸」を外すか、捉えるかによって大きな違いが出ます。
マイケル・ジャクソンのような天才ならいざ知らず、凡人は日々の稽古で「時節感当」を養うしかないようです。
ちなみに「風姿花伝」は室町時代中頃に書かれたと言われています。
もしかしたら親日家と言われたマイケル・ジャクソンのことですから密かに「風姿花伝」を読んでいた?のかもしれません。