昔も今も血の気の多い人はいます。
そんな血の気の多い人が刀を差していた時代はさぞかし大変だっただろうなあ・・・と想像します。
古い文書などにも「侮り」を受けた、「謗り」を受けたなどの理由で斬り合いになった記録が出てきます。今とは違って武士としての立場やしきたりなどでやむを得ないこともたくさんあったようです。
そんな武士たちでもそう簡単に刀を抜くことはできなかったはずです。
抜けば双方とも無事ではすみません。
出来れば斬り合いになる前に止められれば・・・と思うのが人情です。斬り合いが始まってから引き下がることは武士にとっては最大の恥辱です。家を背負った武士にとっては家が侮られることにもなります。
そのためには一体どこから「斬り合い」が始まるのか?の共通認識は大きな問題です。
薩摩藩の武士は「むやみに刀を抜いてはならぬ。抜刀した時は必ず相手を仕留めよ」と教育されていたそうです。
そんな薩摩の刀「薩摩拵え」には鍔に小さな穴が二つ開いているものがあります。
この穴に紙縒(こより)か紐、針金などを通して栗形に結びつけることで刀を無闇に抜けないようにしていたそうです。
そう考えると薩摩では紙縒を切った時が「斬り合い」に入ったということになりそうです。そこからはもう引き返せません。
まあ薩摩武士には刀を帯から鞘ごと抜いて戦う術もあったと言いますから何とも言えませんが。
一般的には武士が「斬り合い」に入ったと判断される時はいつからなんでしょうか?
段階がありそうです。
①柄に手を掛ける
②鯉口を切る
③刀を抜く
④斬り掛かる
様々な意見があるとは思いますが・・・
④の「斬り掛かる」はもう完全に「斬り合い」開始ですね。
①はまだでしょう。
②は微妙ですが、これはまだ「斬り合い」準備段階と言えるのかも。
③ですが、この辺りかも・・・でもどの辺りまで刀を抜いたら「斬り合い」が始まるのか?
流派にもよると思いますが居合には「鞘送り」というものがあります。これは鯉口を切るのと同時に鞘を差している方向に送りつつ抜刀準備をする動作です。
送った柄で右手を守る意味もあります。
鯉口を切って「鞘送り」の段階では刃が見えてないということで、まだ刀を抜いていないと判断されたという文書を目にしたことがあります。
ということは「刀を抜く」とは刃が見えた時とも言えそうです。
居合で「鞘送り」は「オコリ」であり不要なのでは?という人もいますが、居合の実戦的な動作でありつつ、「鞘送り」は「刀を抜く」手前と判断されるとも言えます。
意味合いは違うかもしれませんが、現代の軍隊にも戦闘準備を有利に進めつつ、いきなり「戦闘状態」に入らないように相手に対する様々な段階的な「警告信号」があるのと同じかもしれません。
後々にどちらが先に「刀を抜いたのか?」との尋問があることを考えると「鞘送り」の意味も違ってきます。
居合の別の「景色」が見えてくるようで面白いです。